ゲシュタルトセラピーの歴史

 

(1)ゲシュタルトセラピーの出発点

 ゲシュタルトセラピーは、1950年代のアメリカでフリッツ(フレデリック)・パールズ(Friedrich〔Fritz〕Salomon Perls)、ローラ・パールズ(Laura Perls)、ポール・グッドマン(Paul Goodman)らによって開発された心理療法です。

 パールズ夫妻はドイツで開業していた精神分析医でしたが、ナチスが政権を取ると早々に南アフリカに移住(1934年)し、ヨハネスブルグで精神分析トレーニングセンターを開設しました。そこで二人は、1942年に「自我・飢餓・攻撃性(Ego, Hunger and Aggression)」を出版しました。この本の中には、後にゲシュタルトセラピー理論へと発展するさまざまな概念が散りばめられています。

初版の副題、「フロイト理論を見なおす」が示すように、彼らはこの本を書くことで精神分析から決別しました。そのきっかけとなったのは、フリッツが1936年にチェコスロバキ(当時)のマリエンバードで行われた精神分析会議でこの本のもとになる論文を発表したところ、あっさりと却下されたことでした。この本の初版をマリー・ボナパルト(Marie Bonaparte:フロイトの高弟。フランスでナポレオンの家系に生まれたギリシャの皇女)に見せたところ、「リビドーを信奉しないものは精神分析界から去れ」と言われ、フリッツはこの言葉を聞いてフロイトへの個人崇拝的な精神分析の世界に嫌気がさしたようです。フロイト派にそっぽを向かれたこの本の内容とは、幼児の発達段階における全ての抵抗の始まりは肛門期ではなく、歯で噛むことができるようになった時期の攻撃性であるとする主張でした。

 このように独自の世界に歩を踏み出した彼らは、自分たちの療法をどう呼ぶかでだいぶ議論をしたそうです。集中セラピー、対面セラピー、現在中心療法など様々なアイディアの中から、夫妻がアメリカに移住した1950年に、フリッツがローラの大反対を押し切って「ゲシュタルトセラピー」という名前に決めたそうです。そして1951年には、ポール・グッドマン、R.へファーライン(Ralph Hefferline)と共著で「ゲシュタルトセラピー~人間性の活力と成長」を出版しました。これによってゲシュタルトセラピーが公に世に出たわけですが、当初はゲシュタルト心理学者たちに揶揄されたということです。

 

(2)精神分析、ゲシュタルト心理学、現象学・実存主義の影響

 このような決別をしたパールズ夫妻ですが、もともと精神分析の第一世代から正式に学んだ彼らですから、そこから大きな影響を受けています。

 精神分析医になるためには教育分析を受けることが必要です。つまり、自分が精神分析を受けるのです。F.パールズは、ヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich)とカレン・ホーナイ(Karen Horney)という二人の精神分析医から教育分析を受けています。

 W.ライヒは精神分析をフロイトから直接学び、「有機体の自己調整(Organismic Self-Regulation)」「性格の鎧(Character Armor)」「筋肉の鎧(Muscular Armor)」などの概念を提唱した人です。性格の鎧とは、自分の感情や欲求に蓋をして柔軟性を失った防衛反応であり、それが筋肉の緊張として現れるのが筋肉の鎧です。F.パールズは人の防衛や感情の動きが身体の緊張や動き、表情として現れることから、そのような〝身体の声を聴く〟ことが気づきと癒しを促すことに直接つながることをゲシュタルトセラピーの手法に取り入れたといえるでしょう。また、それを通じ、人が自然な有機体として環境(自分の外の世界)と創造的・建設的な関わりを持ちながら自分の在りようを統合的に調整する(有機体の自己調整)能力を持つことがゲシュタルトセラピーの大きな目的です。

 K.ホーナイは、精神分析の中でも「新フロイト派」あるいは「対人関係学派」と呼ばれる領域に位置づけられる人で、性格は他者との関わりに大きく影響されるとする考え方にパールズは影響を受けました。

 ローラ・パールズはゲシュタルト心理学で博士号をとり、ゲシュタルト心理学者であるクルト・ゴルトシュタイン(Kurt Goldstein)が主催する研究所、脳に損傷を受けた兵士の治療機関であるゴルトシュタイン・センターで数年間研究を続けました。ちなみに、ローラがフリッツと出会ったのはこの研究所でした。ゴルトシュタインは、有機体としての一人の人間は部分に分けて考えることのできない一つの全体として機能していること、また困難な環境に置かれると人間はそれに適応するために多様な変化を起こすことを見出し、この考え方がゲシュタルトセラピーの基礎になっています。ゲシュタルト心理学の領域では、クルト・レヴィン(Kurt Lewin)もゲシュタルトセラピーに多大な貢献をしています。その「場の理論」― 生体は環境と切っても切れない関係の中でお互いに影響を及ぼしあってつながっており、生体が体験する出来事は一つの原因が一つの結果を生むといった直線的な原因―結果論で捉えることはできず、場で起きている様々な要素がからみあって生まれるプロセスの通過点で起きていることといった考え方は、やはりゲシュタルトセラピーの基礎になっています。

 ローラ・パールズはまた、ゲシュタルト心理学を学ぶ過程で、キルケゴール(Søren A. Kierkegaard)、ハイデガー(Martin Heidegger)、フッサール(Edmund G. A. Husserl)

などの哲学、すなわち現象学、実存主義を学んでいます。彼女はフッサールと会って彼の現象学を学んでおり、また「我―汝の関係」を唱えたブーバー(Martin Buber)に直接指導を受け彼らの哲学をゲシュタルトセラピーの基礎に据えています。フッサールからは価値判断や意味づけをせずにものごとを捉える方法、キルケゴールからは真実は主観にあること、ハイデガーからは存在は意識より根源的であること、そしてブーバーからは存在の在りようや対話など、それぞれがゲシュタルトセラピーの基盤となっています。

 

(3)ゲシュタルトセラピーの発展

 「ゲシュタルトセラピー~人間性の活力と成長」が1951年に出版され、次の年にはニューヨーク・ゲシュタルト研究所が、そして1954年にはクリーブランド・ゲシュタルト研究所が設立され、その後全米各地に、そして今では欧米を中心に世界中にゲシュタルト研究所が開設されています。

1960年代、フリッツはラジオの定時番組を持つなど時代の寵児的な活躍を見せ、多くの場でゲシュタルトセラピーのデモンストレーションを行いました。この頃の彼のワークは短時間で劇的な結果を生む〝瞬間芸〟的なものでした。その結果、様々な意味で矛盾と誤解が生じ、ゲシュタルトセラピーから人々の心が離れて行きました。「グロリアと3人のセラピスト」のビデオには、この頃のパールズが収録されています。

1970年のフリッツ没後、ローラやイザドア・フロム(Isadore From)、ポルスター夫妻(Erving & Miriam Polster)などの着実な努力により、ローラの言う「体験的、実存的、実験的」な療法としてのゲシュタルトが徐々に再評価されるようになりました。

現在のゲシュタルトセラピーの柱は、実存主義・現象学、「我-汝の対話」(M. Buber)、場の理論(K. Lewin)、変容の逆説的な理論(A. Beisser)をベースにした「体験的、実存的、実験的」なものである限り、そして他の手法と混合させない限り、それがゲシュタルトセラピーであるという考え方に基づいて発展を続けています。

今は、エンプティーチェアを使わない「関係対話アプローチ」が欧米では主流になっています。これは、リッチ・ハイスナ―とリン・ジェイコブスがゲシュタルトセラピーの中に確立したアプローチで、クライエントとセラピストの関係にブーバーの「我―汝の対話」「インクルージョン」を純粋に実現しようとします。徹底的に受容的なアプローチです。

欧米では、企業組織のコンサルティングにもゲシュタルトの手法が活用されるようになっています。

 

【参考文献】

Ego, Hunger and Aggression (F. Perls, 1992)

A Life Chronology (The Gestalt Therapy Page, F. Perls, 1969)

In and Out the Garbage Pail (F. Perls, 1969)

Gestalt Therapy - History, Theory and Practice, A. Woldt, S. M. Toman, 2005)

Living at the Boundary (L. Perls, 1992)